2018年5月10日木曜日

メディアとしての漫画

漫画家を目指すという動機には好きな絵を仕事にしたいというのと、
一つの世界を創造する事への快感があると思う。
同じ絵を描く職業でもアニメーターは集団の中での作業なので、
自らが主導的な立場になるにはキャリアも必要だし、
この世界を創造する快感は得にくい。
その点漫画は最初から「映画監督」になれるわけです。
個人作業と集団作業。それが漫画家とアニメーターの大きな差でした。

ひとりの人間が1週間という極めて短時間のうちに
全創作力をつぎ込み、しかもそれを何年にもかけて持続的に行う。
映画やドラマ、小説などいろいろと娯楽はありますが、
そうしたコンテンツは世界広しといえど日本の漫画しかありません。
漫画は究極の創作物であり、完成されたメディアと言えます。

一方で漫画の歴史を見ていくと
アニメーションは漫画の未来であるという見方も出きます。
近代漫画の祖である手塚治虫自身、アニメーター志望で
アニメ制作の資金を集めるために漫画を描いていたというぐらいですし、
実際に手塚治虫が虫プロを作って
テレビアニメ第一号「鉄腕アトム」が作られたように、
元々漫画界とアニメ界の親和性は高く、
そもそもストーリーマンガはアニメの絵コンテも同然だったわけですよね。
ただ、この映画的(映像的)手法を取り入れた
手塚漫画の演出自体が革命的なことだったので、
赤本、月刊誌、週刊誌と活動の場を移しながら、
独自のメディアとしての現在に到る漫画文化が築かれました。


鉄腕アトム 1


日本のリミテッドアニメーションの創世記は
「テレビまんが」とか「マンガ映画」と呼ばれており、
アニメよりも漫画のほうが地位があったのですが、
徐々にその差は縮まり、今では「アニメ」という独立した文化となりました。
背景にはテレビ文化がありますが、
大きなターニングポイントだったのは大友克洋「AKIRA」でしょう。
大友監督も手塚治虫同様、漫画家でありながらアニメーションを志向していました。
(あまりにも当然のことですが、宮崎駿の活躍は見逃せません)


AKIRA(1) (KCデラックス ヤングマガジン)


手塚治虫がディズニーなどのコミック(アメリカ)の影響を受けたのに対して、
大友克洋はメビウスなどのバンド・デシネ(フランス)の影響を受けて、
その精密なタッチで描かれる圧倒的なデッサン力に裏付けされた
絵柄とコマ運びは漫画に映像を取り込んだと評されました。
大友漫画は手塚以来とも言われる大変革を漫画界に与えましたが、
手塚治虫が生涯マンガ家だったのに対して、
大友克洋は漫画を描かなくなり、完全にアニメにシフトしていきました。
そして、昨年大ブレイクした新海誠のようにCGやデジタルの進歩によって、
これまでのような集団作業に頼らずとも個人でアニメが作れる時代になりました。
一方で、漫画はシビアな締切の中で膨大な作業量をこなすのが困難となったため
漫画原作者が付くなど分業が進む傾向にあり、
作り手の立場として「漫画=個人作業、アニメ=集団作業」という
前提が大きく覆ろうとしているのです。

受け手の立場で見たときも、
漫画は自ら読むという動作が必要になるのに対して、
アニメは一方通行で情報が流れ、なんとなくでも見れてしまう
しかも近年の技術革新によって
アニメはさらに見やすく、高い芸術性を持つに至りました。
一方、ネットの発達や電子書籍の普及によって
漫画雑誌は売れなくなっており、
アニメから入って、グッズとして原作漫画を買うという逆転現象が起きています。
文学や小説を苦手とする人がいるように
今の若者は漫画を読むことさえ難しい
漫画の読み方がわからないという人まで生まれているようです。
つまりメディアとして漫画の上にアニメが立つようになったと言えます。

西洋美術史で見ても、
ルネサンス以降、リアリズムを追求してきた西洋絵画
近代に入り、カメラと写真の登場で衰退しました。
写真以上に本物の「絵」はないからです。
その後、カメラは映像を撮るようになり「映画」が生まれます。
この写真の連続映写技術を絵画に取り込んだのが「アニメーション」ですが、
こうした流れを見ると日本の漫画文化もいずれはアニメに取って代わる。
いや、もはや代わったとも思えてくるのです。

出版の衰退の中でも雑誌が顕著なだけで、
コミック単行本などは横ばいに推移していることから
漫画はアニメとは独立したメディアとして、形を変えながらも根強く残ると思いますが、
こうした現状で漫画の生き残りのため、
またアニメにはできない漫画ならではの演出を考えた時、
参考になると感じているのが、
昨年ハリウッドの実写版劇場公開された『Ghost in the Shell』
この原案となった『攻殻機動隊』を描いた士郎正宗です。


攻殻機動隊(1) (ヤングマガジンコミックス)


「Ghost in the Shell」は押井守監督のアニメ映画が世界的にも有名ですが、
原作漫画と大きく雰囲気が変わっています。
アニメはシリアスタッチで難解な映画ですが、漫画はコメディシーンも多い。
これは押井守が8割は原作通り2割を変えるという特徴的な手法で
映画を撮っているからなのですが、
こうした手法は原作ファンには到底受け入れならない部分もあり、
『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』では
原作者の高橋留美子と喧嘩になったとも言われています。
しかし、個人としては押井守の考えには賛同していて、
アニメ版はアニメの良さ、漫画版は漫画の良さがあると思います。

士郎正宗は先述の大友チルドレンの一人でもありますが、
あくまでリアルで冷徹な大友タッチに従来の温かみのある漫画的な要素を加え、
日本漫画特有の立体感のある美少女像を作り上げ、
ハードボイルド一辺倒ではなくコメディ演出を挟むことに成功しています。
この絵柄的特徴は桂正和などに継承されます。

また映画以上にマニアックな設定や知識を隠すばかりか
コマ枠外にこれでもかと注釈を入れ、文章で世界観を補強しています。
コマ枠外の文章80年代の特徴的漫画手法
作者の主観や物語内部やキャラに対するツッコミなど主にお遊び要素で使われますが、
士郎正宗のそれは他の追随を許さない濃度です。

近年は物語に入り込むのを重視するためか少なくなりましたが、
『進撃の巨人』の「現在公開可能な情報」というページがその役割に近いです。
現在二期が公開されているアニメ版でも
原作のイメージを再現するために
アイキャッチ部分で「現在公開可能な情報」を載せていますが、
ちゃんと文字を見るには画面を止める必要があります。
これは効果的にアニメ化できない漫画の強みであって、
時間芸術と空間芸術のハイブリットである漫画の優位な点だと思います。

コマ枠外の文字をあえて時間芸術に置き換えるなら
オーディオコメンタリーがそれに近いですが、
時間芸術の宿命で作品本編と同時に聞き分けるのは非常に困難で
オーディオコメンタリーを見る(聞く)ためにリピートをしなければなりません。
また「お遊び」という側面で言えば
当初から視聴者が感知できないことを承知の上で、
一瞬のコマに物語とは無関係なカットやメッセージを入れる演出
80年代後半から90年代にかけて流行しましたが、
サブリミナル効果を狙ったと批判され
テレビの規制強化と共に下火になりました。
これも一時停止や録画、巻き戻しやコマ送りが可能になった
ビデオデッキが普及した80年代以降だからこそできるのですが、
いずれにしてもボタンを押す動作が必要になります。

漫画は長きにわたって週一で放送されるテレビアニメに合わせて
週刊誌が中心で、とにかくスピード重視、
いかに分かりやすく読ませるかに主眼が置かれましたが、
4クールアニメが減少して、
漫画はテレビアニメとの時間的タイアップが必須条件ではなくなりました。
そして、SNSという新メディアの登場により、
週刊ならぬ日刊で、リアルタイム
出版社を通さず、作者自身がネットに作品を公開する流れも出ています。
こうした場合、更新度は週刊誌以上ですが、
一日という作業時間の問題で一コマないし一ページ程度だったり、
ジャンルもギャグや日常ものだったり、クオリティの面でも制限が出来てしまいます。


ファイブスター物語 (1) (ニュータイプ100%コミックス)


漫画の独自性を考えたとき、
『ファイブスター物語』永野護も大きなヒントになるかもしれません。
永野護はアニメ界出身のデザイナーですが、
この作品はさらに大掛かりで設定だけで何冊も本になっており、
漫画がコンテンツの中心ではなく、
マンガ、設定集、ガレージキット、ファッション(コスプレ)などが
横一列で並んでおり、これを複合することで重層的な読み方ができるもので、
『ファイブスター物語』もとい『永野護』そのものがメディアとなっています。
こうした内容の濃いコンテンツを生み出すため、作家は遅筆になりがちですが、
週刊少年ジャンプでさえ『ハンターハンター』が不定期連載されるように
読ませる力に加え、深みにはまらせるための情報量を確保するため
これからは月刊誌や単行本時代の再興が起こるかもしれません。

週刊誌のスピード路線を継承したウェブコミックと内容重視の紙媒体
漫画業界は二分していくのではないかと予想します。
5分アニメの勃興2クールアニメの増加など
この動きはアニメ業界とも連動していると思います。
読ませる媒体によって内容も演出も変えなくてはならないので、
漫画家志望者にとってもこれは重要な問題なのです。

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